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「がん哲学外来へようこそ」

これまでの読書傾向とはちょっと傾きの違う本。

 

がん哲学外来へようこそ (新潮新書)

知人のお店で、がん患者とその家族のための「がん哲学外来」をしていると聞いていて、「それは何ぞや?」と思ったことから、がん哲学外来を始められた方の著書があると知り、読むに至った本。

 

30代も後半になれば、まだまだ年齢的には若手と言われていても、身近な人や友人に罹患したことがある人がいないわけではないし、自分もなる可能性がある病気が「がん」なのかな、と。

 

「がん哲学外来」はがん患者や家族の相談をする場所で、悩みや不安かどの話を聞き、整理し、時にはアドバイスを行う「対話の場」とのこと。病気の不安もあるけれど、これまでの生活で見えなかったことを考えるようになる。(これはがんに限らず他の病気でも同じだとは思うけれど)日常生活でがんの優先順位を下げることで、俯瞰的な視点に立てるような手助けをしている。専門家でなくても誰もができ、哲学外来の他に自由に話をする「カフェ」という場もあるそう。

共通していることは、患者も専門家もどちらでもない人もみんなお互いに対等な関係で話をする場であるということ。

 

著者の樋野さんは、順天堂大学の教授で、病理学を専門にされている。

病理学は、直接患者さんを診察するのではなく、手術で摘出した臓器や亡くなられた方の解剖を細胞レベルで確認通して、病気のことを調べる仕事だそう。中でも、アスベストによるがん「肺気腫」の患者に接する機会があり、そこから「がん哲学外来」を思いつくに至ったそうだが、実際に「がん哲学外来」ができるようになったのは、2007年に「がん対策基本法」ができた時に、がん相談支援窓口を設置する必要ができた時に、期間限定ではじめたのがはじまりで、それ以降は病院だけでなく、喫茶店や呼ばれれば全国どこでも無料で出向いておられるそう。

 

この本には、これまでのがん哲学外来で相談に訪れた方々の話が掲載されている。中には、ご本人ではなく、がんで家族を亡くした人の相談も。

 

生きていれば誰もが直面する死ぬわけであり、いつ、どのタイミングかは人によって違うだけ。ならば、悲観的になるばかりでなく、「生きているお役目を果たす」「何を成し遂げたいか」を考える機会として捉えては?という受け答えをされているところが印象的であった。

 

#おうち時間