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【メモ・備忘録】ブライダル産業に頼らない結婚式 その3

この記事のつづき

 

その1はこちら

 

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2016年2月中旬 祖父と最後のお別れ

脳梗塞で1年半ほど入院していた祖父がぴったり挙式1ヵ月前に亡くなり通夜、葬儀へ 

 

親族が集まっているため、親族挨拶にもなって良かったかもしれん

ちゃんと挨拶せーよーってことやろか

 

喪中になった時の結婚式については喪が明けるまで延期、中止にすることもある

※実際友人の中には延期した人もいる

「身内が亡くなった人は、神社の鳥居をくぐってはいけない」という言われもある

 

→神社側と相談(電話にて)

「神社の敷地に入る前にお祓いをして、その後入ってもらう」

ということになり、挙式は予定通り行うことに

 

 

2016年2月中旬 友人の挙式&打合せ

たまたま友人の挙式が私達と同じB神社で行われたお祝いを兼ねて見学に

友人席に座らさせてもらって、挙式の流れや時間の動きも確認

 

その後食事会について打合せ

会場や借りる備品の確認

見積書の確認

アレルギーなどの対応もあり、「座席表」が必要

プログラムや司会者はどうする?

 

 

2016年3月上旬 座席表をつくる

やっとスイッチが入る

座席を決める(パズルや!これは!!)

ネットにある座席表テンプレを使って作成し、いい紙でプリント

あと、座席名札も作成し、いい紙でプリント

 

突然の・・・

相方がデザートがないからコーヒーを振舞いたいと言い出す

仕出し屋さんがもっそいいい方で

ティーカップもお湯も用意して下さる(追加料金なし!!)

 

2016年3月中旬 こまごました買い物と搬入

コーヒー豆を買いに行ったり(ついでにお茶もする)

焼き菓子を買いに行ったり(友人配布用とコーヒー用と)

プチギフトの和菓子を買いに行ったり

 

一式そろえて神社に前日持ち込み(自転車で・・・)

 

 

2016年3月中旬 挙式当日!

早朝のお祓いにはじまり、

着付け、写真撮影、説明、、

 

友人たちがふらーっと見に来てくれて、嬉しくて手を振りたかったけど

厳粛な場、、、一応真顔で(友達が送ってくれたムービー見たら母つまづく)

よう化けたなと言われたり(笑)

 

こんな日々も何年もたてば忘れてしまうのだろうか?

 

食事は一般の仕出し弁当からするとちょっとしょぼい気もしたけど、

食べきれないよりは食べきれた方がよかったので、これはこれでよかったかなと思う

(親からは料理イマイチと言われたけど、過ぎたことはしょーがーない)

 

終わってみると・・・ちょっと燃え尽き症候群

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引き出物について

挙式後、今までお祝いを頂いた方を含め、

お礼状をつけて手渡しやゆうぱっくで送付

 

郵便局でながーいレシート見たの初めてだったわ

未だにお祝いのお返しができていない人もいる・・・(--;)

 

 

【まとめ・反省点】

実際やってみて(2度目はないと信じるとして)

イベントのように反省して来年に、というやり直しが効かないことを痛感(笑)

まあ、結構大変だったのでもう一回やりたくはない、、

 

コーディネーター&プロデューサーは自分たち であるということ

・神社、写真屋、料理、引き出物 すべて入金先、支払方法がバラバラ

 誰かの手間賃がかからないので結果的に安上がり

・明瞭会計!パンフレット記載価格以外追加なし

 神社によっては商魂たくましいと感じるパンフレットもあったので、

 そういうところは違うと思われる

・カメラマンはもうちょっとお金かけてでもこだわっといたら良かった

 神社提携のところがいまいちだった、、、安いのにはわけがある

・親に対するスルースキルが必要

 親からの先回り発言にイライラ募り、爆発し、喧嘩の原因に 

・親族なので、お祝いのお返し(引き出物)は半分でなくてもよいと言われた

 これは家の考えによって違うので一概には言えないが・・・

 →これも割と安く上がった要因かもしれない 

 

思い出したら追記しよう。

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*** 次は自由なパーティー編

piyokoworks.hatenablog.com

 

 

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【メモ・備忘録】ブライダル産業に頼らない結婚式 その2

この記事のつづき


 

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細かいことが立て続けに起こる約3ヵ月・・・

恐らく、半年前とかもっと長いスパンでやれば疲れないんだろうけど

 

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無事にできるのかしらね??

 

 

 

2015年12月下旬 神社ファーストコンタクト(私)

神社の職員であり挙式担当のAさんとファーストコンタクト

とても上品なご婦人です

 (この方なしでは最後まで成し遂げられなかったといっても過言ではない!素敵な物腰と物言いに我々もファンになっていた)

 

ということで、

神社正式申し込み(申込用紙記入)

次回は出席者を確定したあと、

年末年始を挟むので年明けに打合せ予定

 

一応出席者の確認として親にまず確認

親兄弟の他は、おじ・おば・いとこ・いとこの子に加えて、

来賓として友人4名のみの予定だったが、親族が少し追加になったりなんやかんや

親族決めるのって結構大変。。。

 

2016年1月中旬 2度目の打合せ

出席者が確定した段階で神社に伺う

出席者一覧表を神社で記入する

(私がさくさく書いている横で相方が焦ってパニクってたな・・・)

 

当日の流れや集合時間などの説明があり、

普通ならここで当日まで打合せがないのだが、我々は、、、

 

2016年1月上旬 結婚式の後の親族の食事会について

近隣の和食のお店に電話するも日程は空いているらしいが

ここのお店は35名まで

(この時点で35名超えるか超えないか微妙なところ)

 

―ピンチ!!食事会場が決まらない

 友人から聞いた他の近隣会場もネット上で調べるも、

移動するには人数も多すぎる、着替えはどうなる?

足の悪いおばあちゃんがいる

 

色々話合った結果、神社の部屋(ホールのような部屋がある)を借りることにする 

Aさんの経験では、披露宴での利用はやったことがない

すぐ近くに大きなホテルがある

→ここでも良かったがお店がいまひとつだな~と思って

 

会社の励会などの利用で出入りしている仕出し業者を紹介してもらい、

メニューや見積を出してもらう

 

と、後日東京にいるいとこの奥さんと子ども達も参列したいという連絡があり、

参加者は自分達を除いて40名でFIX(神社にしといてよかった、ほっ)

 

 2016年2月上旬 衣装打合せ

私の知人である着付けの先生(70代女性・以下Cさん)が

挙式の着付け及び衣装全般担当してくださった

 

主にCさん宅にて私が出向いて打合せ

 

自分の衣装は写真などで確認し、費用についても合意

 

相方両親に頼まれていた黒留袖を依頼、親族の着付け希望人数の伝達

モーニングの衣装屋さんを紹介してもらう

 

CさんとはLINEなどでやりとりしながら、その間黒留袖のデザインについて送られた来た写真を親にメールで送り確認しながらやりとり

伝書鳩が一番疲れる)

 

→モーニングの衣装合わせは当日1週間前ギリギリに・・・ 

 

2016年2月中旬 招待状をつくる

デザインは、色々な人の招待状や招待状テンプレート(便利な世の中)を参考に作成

→親族なので一番スタンダードに

画材屋さんで買ってきたいい紙にプリント

はがき用の紙が厚すぎて読み込まず、すんげー時間かかる

切手は慶事用のを購入し、その日のうちに郵便局に出す 

 

*** その3に続く

piyokoworks.hatenablog.com

【メモ・備忘録】ブライダル産業に頼らない結婚式 その1

―はじめに

「ブライダル産業には乗っかりたくない」

ところからはじまった我々の結婚式

 

話し合いの結果

結婚式は親族だけでやって、

友達だちは後日パーティーでもしようということで決定

 

ーと、その前に

カンボジアでの結婚式に参列したが、日本とは違い、自由な雰囲気でとても良かった

 

自宅が結婚式の挙式会場&写真スタジオになる

儀式は早朝から行われ、近所の方や親族が参列し、朝ごはん・昼ごはんもいただく

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会場を変えて夜はパーティー

テーブルに揃ったところから食事を取り始め、ある程度食べ終わり、およそ人数が揃ったところで新郎新婦の入場がはじまる

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その後はダンスパーティー会場を化す

 

他の国の結婚式に行った人の話を聞いても、割と自由でカジュアルな感じの内容が多かった

 

 

さて、本題

 

ー神社で挙式をすることについて

イベントなどで縁のあったA神社で友人2組が挙式をしたのを見たときに(身内のみ)

「誰もが自由に普段着で気軽に見に来れる」のが良いなぁと思っていたので、

「神社で挙式」は当初から候補に入っていた

 

当初はこのA神社で挙げたいと思っていたが

相方が自宅の氏神さまであるB神社の夏祭りに参加したことから、

「B神社がいい」

ということになり、空間的にはA神社が好みだったけど、

親族の人数を改めて数えてみたり(A神社の本殿は割とせまい)

神社に行ってみたりして

最終的には「B神社」で合意

 

ーB神社へのファーストコンタクトまで

家を借りたのに、家が合わず、半年で引っ越してしまったり

メンタル的にも結婚そのものについて考える余裕がなかった

(その前に入籍日さえあやふやだったこの頃)

 

2015年秋に入籍&新しい家に引っ越ししたことで、

「結婚式」について考える余裕が生まれる

 

2015年12月上旬 結婚式の時期をきめる

気候と(直前や前日など、仕事が休みやすい)スケジュールを考慮して3月中に決定

 

 

2015年12月中旬 神社ファーストコンタクト(相方)

相方が神社に挙式について聞きに行く(ノーアポ)

空いている日とパンフレット(価格表)を持って帰宅

 

挙式費用は○○万円

その他更衣室の貸し部屋代などが別途費用としてかかる

衣装、カメラは提携?繋がりのあるところのパンフレットをもらってくるが、

絶対にそこを選ばなければならないということはない

外部業者の持ち込み料不要

また、新郎新婦の服装は必ずしも衣装である必要はなく、礼服でもOK

 

その後、親族(主に親きょうだい)に日程確認をし、候補日を確定し、

改めて電話で(相方が)アポを取り2人でいくことに 

 

*** その2に続く

piyokoworks.hatenablog.com

写真を展示してみる

親しくさせてもらってるカフェで写真を展示することに

ほんの思い付きと勢いだけで

 

ただ写真を飾るにはおもしろくないなぁと思い、メディウムという油絵につかう画材とたまたま家にあったキャンバスを使って写真を転写

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ちょっと絵のような雰囲気に

もう少し、練習あるのみ

 

大量に現像した中からお店にあるフレームの数から更に厳選


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カフェの方からのありがたいアドバイスとサポートにより何とか形に。

 

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ライティングも

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私が2011年からちょくちょく訪れているカンボジアの首都プノンペンの写真を展示しています

 

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Phnom penh Report 

@chinon cafe (大阪市中央区谷町6-11-9)

10/4~11/4(水曜定休・10/23は貸し切りのイベントがありますので、それ以外にお越しください)

カフェですのでワンオーダーお願いします。 からだに優しいグルテンフリーのおやつやドリンクなど。※個人的にはクッキーと米粉ワッフルがおすすめ

講演会かと思ったら・・・

近所で団地のトークがあるということで、近くなので行ってみた

会場に到着して、ふと見ると座席配置からしてこれは・・・

あぁワークショップ・・・

講演会行ったら話し合いもさせられた市民の1人になってしまったわ(笑)

 

全8回のワークショップを開催され、まず市の魅力や資源となるものに関する講演やお話のあと、ワークショップが行われており、私が参加したのはその1回だった。

市の総合計画のためのワークショップで、企画運営を某大手コンサルさんがされている様子。

 

1テーブル4名のワールドカフェ方式

1ラウンド15分×3 1ラウンドが終わると1人残して他のテーブルへ。2ラウンド目は前のテーブルにいた人と出会わないようにして、再度話し合い。そして、3ラウンド目は1ラウンド目と同じテーブルに戻って振り返りながら話し合い。

各テーブルには仕掛け人ではないけれど、役所の職員で市の在住者や市内の学生が混じっていて、だいたいのテーブルには仕掛け人的な人が残っていた。

4人だとファシリテーターがいなくても話が分断することが少ないので、進行しやすい

ワールドカフェだと明確な時間刻みが見えているので、ダラダラと話してしまうこともない

それでもペンの色とか細かいルールを言う人がいたり(好きな色使わせてくれよ!)

人の話を奪う人がいたり、、、(あんたに聞いてない!)

仕事柄勉強になったわ~~

畑あそび

母の実家は元農家であり、田畑を(少しだけど)所有している

長らく祖父母が「家族の分だけ」作っていたが、それも難しくなった頃、

父が定年し、時間に余裕ができたことから、父による野菜づくりスタート

 

たまたま、仲良くなった友人が「畑を探している」という一言から

「友人を誘う」ことになり、その後家族で行きたいという友人が来るようになる

さらにママ友繋がりで様々なファミリーが2,3年まえから訪れるようになってきた

 

いも掘って、他の野菜も採って、バーベキューして、

都会に暮らし、土に触れることもあまりない子ども達が

遊具がなくても自由に遊びまわる光景

カエルいじくりまわして、、、カエルもいい迷惑かもしれないけど

にぎやかにわいわい

 

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彼らが大人になって「畑行ったね、楽しかったよね」って同窓会とかで思い出してもらえたらいいな

少なくとも彼らにとっても「私」というひとが生きていたという証にもなるから

 

 

ただ、逆にいえば子どものいない友人を誘いづらいくなったのも事実・・・

次はおとなだけバージョンもやろうかな

【メモ】空堀の記憶9/15


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空堀の記憶」今回は商店街にある薬局の93歳の現役薬剤師のSさんによる商店街のお話。

 


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昭和22年に同じ薬剤師のご主人が薬局を空堀商店街に開業したと同時に24歳で京都からお嫁に来られたSさん。

 
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薬局の建物は、戦後に建てられた2軒つながりの長屋で、隣(現在はお茶屋さん)は、開業当初は氷屋さんがあったが、その後すぐダンスホール(?教室?社交ダンスが流行っていた頃で、レッスンらしき音がしていたが、中はみたことがないそう)になっていた。横の路地奥にはベッコウ細工職人の工場があったと記憶しているが、若かったので工場を覗いたりしたことはなかったそう。

 

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当時、空堀商店街には、

薬局が上町筋まで数えると10件、豆腐屋さん八百屋さん魚屋さんも商店街の中に今は1~2件あるぐらいだけど、当時は5~6件ずつあった。荒物(小間物)屋さんには台所用品をはじめとする生活用品が揃っていて便利だったこと、

商店街からすぐのところに大きな銀杏の木があり、その先に「銀杏湯(いちょうゆ)」というお風呂屋さんがあったこと

 

嫁いだ当初は松屋町筋から先はまだ焼け野原で大丸とそごう、ぽつぽつと蔵が残っているのが見えていた。また、戦前にあった市場や商店街が焼けてしまったので、周辺の人は焼け残った空堀に買い物にみんなが来ていた。空堀商店街は、いつもたくさんの人で賑わっていた。

モノがなかった時代だったので、仕入れたらすぐ売れるから、あまり商売がわからなくてもなんとか生活は成り立っていた。

各お店の定休日は3が日や特別な日以外なく、徐々に定休日が増えていったが、日曜日が休みになったのは昭和55年ごろ~。

 

薬局では、お客さんの症状に合わせた薬の調合、処方、相談に乗ったりしていた。お客さんは近所の人が中心で印刷業の方が多く来ているようだった。住んでる方の大半が家内工業で路地のあちこちから機械の音が聞こえていた。これらの工場は、すでに駄菓子やおもちゃの卸問屋街になっていた松屋町に卸す箱の印刷や包装資材の業種が多かった。

 

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昭和30年代にオート3輪(ミゼット)が普及するまでは、馬や牛による荷物運搬が一般的だった。

 

若い頃は、ほぼ休みなしの商売に加え、家事育児と多忙であまり周りをみる余裕はなかったと仰られており、当時、女性の1日の労働というのは現在の私たちの想像以上に大変だったことが伺えた。

 

空堀の記憶は今回で3回目だったが、前回の戦争のお話とも繋がることがあり、連続参加したことで、より話が立体的に繋がり面白かった。

 

 

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前回の空堀の記録レポートはこちら