第3回関西蚤の市
つぶやきばかりでなく、遊びのことも
阪神競馬場のイベント広場で開催の「第3回関西蚤の市」へ行ってきた
競馬場で馬券を買うために来ている人と、蚤の市に来るために来ている人とで競馬場はごったがえす
こんな、芝生広場みたいなとこや、遊具もあって、入場料200円だけど結構楽しいものもある
わたしは第1回目から2度目の関西蚤の市訪問。
今回は、豆皿市も同時開催で、どっちかといえば豆皿市が目当てだったけど、10時半ごろの到着ですでに、豆皿市のレジは長蛇の列。豆皿自体は見れたけど、気になっていた作家さんの豆皿も売り切れ。というか豆皿が想像以上にお値段の高いものが多くてびっくりした。基本的にはほぼ1点もの、作家ものだからそう言われればそうなんだけど。。。
その後蚤の市をぶらーぶら
カゴとか家具、雑貨、食器、キッチン用品いろいろ
パイロセラム欲しいな
直火、オーブンOKなり
北欧ビンテージ食器はどこのお店も同じブランドを出していたけど、どこも良いおねだん。
目の保養と言い聞かせながら
好みのラインナップのブースを見つけたら、お店のチラシやら名刺やらもらっておく。
京都とか神戸ならすぐ行けるし、いつもどこ行っていいかわからないからこういう手がかりはとても助かる
家具と食器がバランス良く売っていた。
神戸の倉庫でお店をされている「北の椅子と」
状態の良くて手頃な食器が売っていた千葉県の「houti」
学校モノが多かった奈良の「チロル」
きちんと手入れされた古家具がほどよいセンスで並べられていた神戸三田の「atelier Persimmon 三輪珈琲店」
あとは中古じゃない、新品の食器ブランドも(ここもすごい混んでいた。ちょっとレトロな感じでカワイイ上に、直火OK・レンジOKだったらそら買うわ)
愛知の「STUDIO M'」
ざっくりと蚤の市を回ってるうちに飲食ブースも
競馬場のフードコート(吉野家とかモスとかある)も長蛇の列。。。
あまり並んでいなかった「食堂souffle」のテント(といってもお弁当1種類売り切れておられた)でビスコッティを買って小腹を満たす。
このビスコッティ激うまじゃないか!
これのために京都行きたいぐらい。
HPもカワイイな〜
天候が怪しかったり、座れそうなところはほとんど埋まっていたのでそれほど長居せず帰宅。帰宅したら大雨がザ―――っと。はよ帰ってよかった。。。
関西蚤の市の主催は東京蚤の市を開催し続けている手紙社さん
イベントの感じとか出店者のチョイス、作り込みなんかは、さすが
言い方はちょっと悪いけど東京っぽい感じというか・・・
馬券を買いに来たおっちゃんたちが蚤の市に混ざることはまずない
(逆に若者が競馬場の食堂に行ってるのが面白いw)
大阪だとそういう人たちも取り込もうとしてしまうけど、、、
ちゃんと対象を絞っているのはいいなと思う
並ぶのが嫌いだと言われている関西人だって朝イチに行って、
長蛇の列並んじゃうんだもの
【つぶやき】最近の妄想のおはなし
私の祖父(母の父)は「たばこ屋さん」をしていた
築80年近くの農家型の家に増築するカタチでお店がひっついている店舗
祖父は30代前半で脳梗塞をわずらったため、サラリーマンなどの定職に就けなかった
もともと農家をしていたけど、農業だけでは食べれなくなった頃にたばこ屋も始めることになったらしい
たばこ屋さんといっても、生活雑貨や文房具、駄菓子や雑誌なんかも売っていた。
年齢とともに徐々に縮小し、最後はたばことジュース(ほぼ自販機営業)だけになったけど。
お店の空間はそこそこある。
孫たちに「店があるから何でもしたらええ」とうわごとのように言うていたらしい。(たまたま、私は建築士、柔道整復師の弟、いとこは高校が製菓系という手に職系がいてたのもあって)
3年前に店を閉め、1年前に祖父が亡くなった。
現在は母屋(以下母実家)に祖母がひとり暮らし
店を閉めて以来店があった部屋には入ってない(暗くて怖い・・・)
つい最近祖父の家の近くでご実家をパン工房にされている方とお話をする機会があり、「何かやってもらえたら嬉しい」的なご意見もいただき、その時はごにょごにょと答えただけだったのけど
その後、祖母に会いに母実家に行った時にバスから見えるシャッターの閉まった店の跡を見ると「やっぱりもったいないよな~」という思いがむくむく
そうだな~私ならどうするかな~
コミュニティカフェとかかなぁ・・・
普通にサテライトオフィスでもいいな~
店だろうが事務所だろうが
「かもめ食堂」みたいな空間が理想やな
将来カフェとして使えるような工房として作っておけばいいかも
あの家の長男たる叔父に話をしないと現実にはならないけど・・・ちーん
【つぶやき】おとな食堂やりたい
今、子ども食堂があちこちで発足している
子ども食堂を運営されている方の話を伺ったり、子ども食堂にお邪魔したこともある
「手作りの美味しいごはんをみんなで食べる」それだけのことだけど、救われることもある
世の中「子ども」に注目されている
とはいえ、都市には子どもがいる世帯だけではない
おひとりさま、子どもがいないDINKS世帯もいる
ところが、行事ごとなど見ていても自ら動かないと「地域にコミット」しづらい
これまでの活動を通じて、「誰もが参加できる企画」ではなく「限られた層しか参加できないけれど、ニーズのある人に届けて参加してもらう企画」もやっていく必要があると感じる
そこで思いついた「おとな食堂」
時には1人じゃなくて、みんなでわいわいごはんを食べる日があってもいいんじゃない?同じまちの中で暮らし、働く人同士がまちですれ違った時にちょっと会釈できるようになるだけで、まちでの暮らしは変わってくると思う
もちろん、子育ても昔よりも孤独であることには変わりない
けれど、今私はDINKS世帯の1人である
自分も当事者の一員として参加できる企画をしたい
もちろん、子どもができれば子育て世代の企画へと移行していくかもしれないけれど
子育てが自分が子どもの頃に比べればずいぶんと孤独であることにも気付いたから
会場はとある洋食店を予定
1000円で気軽に洋食を食べて欲しいというコンセプトのお店
ためしにやってみて、
ある程度定例化すれば、お店の方の無理ない範囲でお店主催企画に持っていきたいな
【メモ】空堀の記憶11/4
うっかりうっかりチラシの写真撮り忘れ、、、
今回は、「学校」がテーマ
地元の上町中学校で開校直後10年間教員をしていたKさんがゲスト
Kさんはその後50年間、75歳まで中高の教員をされていた方で、
上町中学校での10年間の学校の思い出と、空堀に現在もお住まいになっていることから、たくさんネタがあり、時折問いかけや質問も入れながらもたくさんお話された
まず、大阪市立上町中学校のある旧南区(中央区は南区と東区が合併してできた)にはかつては南中学校1校のみしかなかったが、昭和23年~26年にかけての地域(桃谷・東平・桃園・金甌)の運動により、昭和27年4月に開校された
開校当初は校舎がなく、南中学校の間借りや分校などで中学校はスタートした
場所は、現在と同じ場所にあったが、当初はグラウンド部分の土地が取得できていなかったが、大阪市からの税金の他、地域住民による寄付により、土地が取得できた
(例えば大阪市では愛珠幼稚園が有名であるように町民の寄付によりできた学校等は大阪市には少なくない)
現在の校舎は開校後の校舎ではなく建て替えられたもの(2代目校舎)である
Kさんは、上町中学に赴任した時がちょうど新任の頃で
上町中学校にいた10年間で教師の仕事、教師としての心がまえなどを学んだことや
現在居住していつことからも、特に思い入れがある学校だそう
(ちなみに奥さまは上町中学校2期生)
学校長の命ぜられ、水泳の得意な生徒に水泳の大会に出れるよう、水泳部をつくり、顧問になった。当時まだ学校にプールがなかったので、桃園小学校のプールを掃除を条件に借りていた
※桃園小学校のプールは戦後最初のプール、有名選手も来ていた
プールの掃除をしないといけなかったので夏は毎日下駄をはいて市電で長居から通勤していたら「いつも下駄をはいている先生」というイメージが地元の人からついていた
小学校前に水泳部の生徒が住んでいたのでプールの水を溜める役割を頼んでいた
ほとんどの親が商売をしているため、朝、弁当を準備できなかったので、
昼休みに自宅に昼ごはんを食べに帰っても良いことになっていた
校舎がすべて完成した頃に全員学校で弁当を食べるようになった
学校の校舎を作るときに、視聴覚の担当であった、放送スピーカー設置や
配線をするように言われ、図面を引き、業者さんと一緒に作業をした
卒業式に間に合わせるように必死で、前日の晩は徹夜であった
学校の暖房は昭和36年頃までは火鉢で、お弁当箱を温めるのにも使われていた
「カチット」が普及したことで学校にもガスストーブが導入された
これで一酸化炭素中毒の心配がなくなったそう
学校行事の他に、町会(自治会)の運動会の審判を頼まれたり
地元から声がかかることも、断らず、引き受けていた
上町中学校だけは地区生徒会というのがあり、終業式などに地区別(町別 東賑・西賑など)に生徒を分けると、しっかり者の3年生が下級生に風紀のことから学校の行事のことなど指導してくれていた。この仕組みは他の中学校にはなかったことから、昔から地域がしっかりしていたのではないか
お店や食べ物の思い出としては、
桃谷小学校前の「勝の家」の朝ごはん80円(ごはん、みそしる、たまご)、
五十軒筋の角には交番があり、その近くに「桃園パーラー」があった
打合せなど特別な時にだけハンバーグや海老フライの乗った桃園ランチを食べさせてもらえるのが楽しみであった
望遠鏡に凝っていたので、宿直の時には星を見る会を生徒たちにしていたら
子どもの親が子どもに食べものを持たせてくれ、ごちそうが食べれたのが良い思い出
卒業生や地域の方からの思い出は、
・熱意のある先生が多かった印象
・調理実習で炭で火起こしをしていたら一酸化炭素中毒が起こり中止になった
・上町中学校開校当初、水泳が強かった3年生は校区に住んでいても「南中学校在籍」のままだったが、メルボルンオリンピックに出場した選手がその中にいたので、
もし、上町中学校生だったら上町中学校からオリンピック選手が出ていたのにと思う
現在のKさんは、一人広報部として、桃谷地域の広報誌や老人会の広報誌を作っておられ、「人と人とのふれあいは遺産、財産」であることを何度も仰られていた
最後に市電の話を聞いてみたら、鉄道の話になり、
あれよあれよという間に他の方も一緒に話をされ、終わったからもお話は続いていた
市電は今の地下鉄やバスなんかよりも断然便利だったそう
本数も多かったし、あちこちに停留所があった
学校という場所はただのまなびやではなく、まちの人が作ったものであること、
60年近く前のことを鮮明に覚えておられ、お話されている方々の姿を見ていると
学校の思い出を大切にされていることがわかる
また、先生自身もまちに関わり合うことで、学校と地域が密接に繋がっているのでここまで語ることができるのだと感じた
今は4つあった小学校が統合し、1小学校1中学校区となっていたり、
学校選択制が出てくるなど、地域と密接なつながりが薄れつつあるのかも
参加者の方が昔の教科書や卒業アルバムなどの写真をもちよってくださり、見せてらった
教科書・・戦前のもの
金甌小学校のアルバム
当時の金甌小学校!かっこいい!
桃園小学校
これまでの「空堀の記憶」
「週末、森へ」のような暮らし
益田ミリさんがだいたい好きで本は結構チェックしている
ふと、好きで繰り返し読んでるマンガ「週末、森で」
いま、「週末、森で」のような暮らしをしている気がする
森ではないけれど、結婚を機に田舎に移住した友人の家に月に1回ほど遊びに行く
過去のブログ記事でも紹介している京都と奈良の県境「京都府相楽郡和束町」
斜面地に茶畑が広がる風景が和束や周辺地域の特徴
友人の旦那さんがお茶農家さんで、遊びに行って、農作業のお手伝いなど色々なアクティビティをさせてもらっている
ボランティアNGOに登録され、海外や日本各地からボランティアが3ヵ月ごとのプログラムでやってくる
その後、イベントや何かの折には和束に帰ってくるという
それは何度も通っている私からすれば
居心地のよい場を作っている2人の人柄が大きいと思う
ひょっこり虫が登場することも
さて、先日は茶畑ではなく、林へ
和束町は山が多いエリアで、茶畑も必然的に斜面地にある
その茶畑のさらに奥にある山の中へ
地元の方の松茸採りに参加させてもらえることに
山の中、登山のような道ではないけわしい道を進む
松の根元にある松茸を求めて
今年はあまり採れていないとのことで
地元の方は必至の捜索
地元の人が見つけた松茸を採らせていただくことに
根元をつまんで、キュキュっと抜くとすぽっと。
私達も教わったところを探してみるがなかなか簡単に見つかるものじゃない
あとから聞くと、松茸採りは、一定の期間だけしかできず、
また、町に住んでいる方が入札をして松茸採りの権利を得て初めてできるそう
私達がお邪魔した山は地区のもので、入札したお金は地区のお金にもなり、
まちの整備などのために使われるそう
聞いてみると結構な金額を支払っているので、そら必死だわ、、、
私達は採らせてもらえただけで、
見つけられなかったのでもちろんもらえなかったけど^^;
素敵な良い方ばかりで良かった
そうそう、「週末、森へ」の10年後のお話もよかったですよ^^
村のヒュッテ~千早赤阪村~
水を買ってる間に乗りたかった電車に乗れず途方に暮れたものの、、、
やはり行きたかったから向かうことに
バスは、住宅地を抜け、田んぼと集落、山、カーブが続き、到着
登山客に紛れて降りる
手作り看板発見!
すれ違うがっつり登山の方々からしたら、
えらいラフですけど??みたいな格好
ほんまにあるんかいな?みたいな道
到着!
素敵な空間!
陶芸のほか、リネンの洋服や小物、雑貨などが出店
器いろいろ欲しすぎて困った。。。
本気で買おうかとも思ったけど、
欲しい気持ちを一旦家に持ち帰る
リネンの服も素敵だった
こちらは実店舗に行ってみよう
欲しい気持ちを抑えておやつタイム
緑の見えるところにデッキスペース
この企画では、カフェコーナーとなっていた
ケーキ、おいしすぎるんですけど
とくにマフィン
コーヒーもこだわりコーヒーで美味しかった
(コーヒー屋さんは実店舗が今なくてイベントのみ)
ケーキはこちらのお店
時間とともにだんだん寒くなり、
息が白くなってくる
雪はクリスマスの頃だそう
帰りに水を汲み(ミニサイズのペットボトルだけだったのが悔やまれる)
美味しいと言われてる豆腐をおみやげに買う
からほりごはん×カラホリナガヤ
日常というか活動のきろく。
「からほりごはん×カラホリナガヤ~ごはんを食べながら長屋について考えてみよう~」
アイデアから実現まで2ヵ月弱、、、、
色々な案の中で結果的にこれでよかったと終わってみて思う
現在進行形の企画から、
プレ企画としての位置づけにもなり
これからの企画を考える上でも丁度よい内容とボリュームでできた
会場は元居酒屋の長屋をお借りして
普段は半分リビングのように使われているため、生活がところどころみえるのも面白い
リハーサル中(*´Д`*)
いつもは本当の料理上手にお願いするけれど、トークがメインなので勢い余って自作したおでん( ;´・ω・`)
大根、厚揚げ、練り物、鳥モモ肉
すべて空堀界隈で買えるものだけでつくる
(出汁は昆布だけ、、、)
前半は、「長屋」をテーマにトーク
準備いただいたスライドをもとに熱く語っていただく
「長屋の光と影」「民泊、不動産価値」「木造長屋を建てたら?」「まちづくり」・・・
豆知識もあって、予想以上に面白かった
参加者の少ない、ややセミクローズだったからこそできた話も
後半は、お楽しみのごはん&歓談
空堀界隈で買えるごはんたち
パン屋さん激戦区なだけにパンはたくさん
おでんは、煮込み時間短くて大根はまだ味が染みてなかったけど、結構食べてもらえたので、よし!
地元出身の方からの昔話や近所付き合いの話、個人的な話やまちの情報交換など
歓談していると時間もあっという間に過ぎる